【顔画像あり】山田裕貴の父親は元プロ野球選手の山田和利!親子エピソードが感動的すぎて涙!

俳優として大活躍されている山田裕貴さん。

そんな山田裕貴さんの父親はどんな人なのか気になりますよね!

なので今回は山田裕貴さんの父親について詳しく調査いたしましたので最後までご覧ください!

父親は山田和利

山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利さんです!


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・名前:山田和利(やまだかずとし)

・生年月日:1965年6月3日

・年齢:57歳(2024年現在)

・出身地:愛知県名古屋市中村区

・身長:178cm

・体重:82kg

山田裕貴さんと比較してみると目鼻立ちがかなり似ていますよね!


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山田裕貴さんは2024年現在33歳なので父親の和利さんが25歳の頃の子供ということになります!

そんな山田和利さんは1983年(18歳のとき)にドラフト会議で中日ドラゴンズから4位で指名を受けて入団されています!

1986年(当時21歳)のときに日本球界初出場し、投打は右投右打で守備位置は主に内野手として活躍されていました!

その後、1991~1995年には広島東洋カープに移籍し活躍をされていました!

1996年に再度星野仙一監督が率いる中日ドラゴンズに復帰されましたが、ケガで故障し31歳で現役を引退されています!


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山田裕貴もプロ野球選手を目指していた

山田裕貴さんは和利さんに憧れて小学3年生の頃から野球を始めたそうです!


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そして、中学の3年間は学校の野球部に入らず、地元の硬式野球の強豪チーム「名古屋北シニア」に所属されていました!


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プロになるために毎日必死に練習されていたそうですが、なかなかレギュラーになることはできなかったんだとか。。。

当時の状況について山田裕貴さんは「プロ野球選手の息子と言われるのもプレッシャーで僕が父を追いかけているのか、ちゃんと自分の人生を生きているのかわからなくて。何のために野球をやり始めたんだっけって悩み始めたら、全然頑張れなくなっちゃって」と語れており、かなり思い悩んだ結果中学で野球から離れてしまったようです!


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父親からは「俺は野球をやれとは言っていない。だけど、お前がやるって言ったことを何で最後まで続けなかったんだ」と叱られたそうです!

その後、高校では父親と同じ東邦高校に進学されていますが野球部には入らず、バレーボール部に入部されたようです!


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父親と同じ高校に進学した理由はわかっていませんが、もしかしたら野球を続けたいという想いがあったからかもしれませんね!

父親から野球を教わったことはない

山田裕貴さんは父親の影響で野球を始められていますが、一度も野球を教えてもらったことがないそうです!


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また、しゃべくり007に出演した際に幼少期の頃に一緒にキャッチボールもしたことがなく、普通の話もすることができないくらい父親は遠い存在だったと語られていました!

この頃の山田和利さんはまだこの頃は現役で広島カープの選手として活躍されていたため試合のために遠征をしたりしていたこともあってほとんど家にはいない状態が続き、キャッチボールや会話をすることができなかったのかもしれませんね!

 

父親の言葉が俳優の仕事に活きている

山田裕貴さんは中学時代に野球をやめてしまいましたが、父親から「やると決めたことを何故続けないのか?」と言われ「テレビで打席に立っている父を見てテレビに出るってかっこいいな」と思ったことをきっかけに俳優を目指すことにしたそうです!

山田裕貴さんは2022年12月4日に放送された「人生最高レストラン」に出演した際に「自分がやるって決めたことをやめた時って、ものすごく後悔するんだなと思って。だから、次に挑戦するって決めたことは絶対死ぬまで続けようって思ったのが、この俳優の仕事」だと語られていました!


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それから高校を卒業した後は大学には進学せずに上京して妹の勧めもあった「ワタナベエンターテインメントカレッジ(WEC)」というに入学されたようです!


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入学後は吉野家や居酒屋でアルバイトをしながら演技を勉強し、エキストラなどで経験を積み重ねたんだとか。。。

そして、在学中の2010年にD-BOYSというワタナベエンターテインメントカレッジに所属する若手イケメン俳優のグループを決める「D-BOYSスペシャルユニットオーディション」を受けられたようです!


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ですが、このオーディションに合格することはできなかったようです!

しかし、事前投票で1位だったこともあり急遽につくられた「D-BOYS部門」のグランプリを獲得されています!


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その後、山田裕貴さんはD-BOYSの弟分であるD2のメンバーとして正式にワタナベエンターテインメントに所属されており2011年に「海賊戦隊ゴーカイジャー」に出演し俳優デビューされています!


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翌年の2012年6月に放送されたテレビドラマ『D×TOWN「ボクらが恋愛できない理由」』で初主演を務め、2014年には『ライヴ』で映画初主演を務められています!


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2016年8月には舞台『宮本武蔵(完全版)』で舞台初主演を務め、読売演劇大賞で優秀作品賞を受賞されています!


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2017年には大河ドラマ「おんな城主直虎」に出演されています!


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ほかにも映画のみで14本出演し、そのうち12本が公開され飛躍の年となり数々の役柄をこなしていることから「カメレオン俳優」と呼ばれるようになったそうです!

さらにその後、2019年に主演を務めた舞台「終わりのない」で文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞を受賞し、2020年には「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020」でニューウェーブアワード(男優部門)を受賞されています!


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また、2022年にはエランドール賞・新人賞を受賞し俳優としてたくさんの方々に認知されたようです!

このように俳優としてたくさんの賞を受賞できたのも父親から言葉を胸に頑張ってきたからではないかと考えられます!

 

よくやっていると褒められていた

2022年12月に放送された「人生最高レストラン」に出演した際に山田裕貴さんの妹が父親に息子のことについてどう思っているのかという紹介をされていました!


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そこでは「褒める父ではないですが、『裕貴はよくやっている。俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』と嬉しそうにしていました」と語られていました!

この話を聞いた山田裕貴さんは瞳を潤ませ「やばいっすね。ちょうど今年は『今年の顔』ってのに選んでもらって、自分がより頑張らなきゃいけないなとか、すごいいろいろ思った年だったのでキマすね…」とコメントし、父親の想いについて「本当に褒めない人だったので。『あの作品のあの芝居は、別にお前の芝居がいいわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだから』とか。本当に褒めない人なので、なんかうれしいです」と喜ばれていました!


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これは息子にとってはかなり嬉しいことですよね!

野球の実力はすごかった

山田裕貴さんは途中で野球をやめられていますが、2022年2月に自身のlnstagramでキャッチボールをしている動画を投稿されていました!

こちらは非公式ですが、1回目の投球が133km、2回目が142㎞という驚異のスピードをたたき出されていました!

これはまさに父親である和利さんの野球の実力ですね!


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ちなみにこのキャッチャーを務めた男性によると山田裕貴さんは3ヶ月間ほどピッチング練習を続けられていたそうです!

 

始球式では涙を流した

山田裕貴さんは2018年8月にナゴヤドームで中日ドラゴンズVSヤクルトスワローズ戦の始球式に出場されています!

この際は中日OBである山田和利さんと同じ背番号「30」のユニフォームを着てマウンドに立たれていました!

きれいなフォームで投じた1球では捕手の構えたミットへ低めに決まり、73キロを計測されたようです!

始球式後に山田裕貴さんは「練習の段階で70%暴投だったので、すごく不安だったのですが、野球の神様がなんとかキャッチャーミットに納めてくれたんじゃないかと思っております。本当だったら、スピードにも挑戦したかったのですが、とりあえずデッドボールを当てなくて良かったです。」と安心した表情を浮かべられていたようです!


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さらに山田和利さんからは「お世話になっている方が周りにたくさんいるので、いつもより多めに頭を下げるように。デッドボールだけはするな」と連絡があり、「思い切り腕を振りたかったけど、デッドボールが怖くって。でも捕手が取れるところに行って良かったです」と語られていました!

また、始球式は俳優の中でも一つの夢で「野球をあきらめて俳優を目指してからの夢が、いつか始球式に登板することでした。今日は父が優勝した時に付けていた『30番』のユニフォームを着させていただいて、母も妹も、そして野球をやっていたころのチームメイトも見に来てくれました。親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました」と語り涙を流されていました!


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そして、感動のあまりマウンドに上がってからは噛みしめることもできないまま、1球が終わってしまったため「またリベンジさせていただきたいです!」と再登板に意欲を示していました!


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野球をやめたことを後悔していた

山田裕貴さんは中学で野球をやめられていますが、高校3年生のときに東邦高校野球部が甲子園に出場しています!


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その際に球場まで応援に行かれたそうですが、プレーをしている野球部の方たちを見て「俺、何やってんだ…」とものすごく後悔をして涙が止まらなかったようです!

そして、このような後悔は二度としたくないと思い俳優になる夢は必ず諦めないで続けようと決心されたみたいです!


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山田和利の現役時代の戦績

山田和利さんは強打の内野手として活躍されていました!


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成績としては以下の通りです!

年度           球団                 試合 打席  打率  安打 本塁打  打点

1986     中日ドラゴンズ             1      1    .000    0        0         0

1987                                          12    21   .238    5        0         2

1988                                          82   153  .268   41       2         7

1990                                          29    40   .200    8        0         3

1991    広島東洋カープ      6      10  .200    2       0         1

1992                                          93    266  .282   75      8        29

1994                                          49     70   .200   14      0         7

1995                                          94    304  .270   82     12       53

 

犠打はかなり多く、最多で20だったそうです!

そして、盗塁成功率は低いですが、盗塁はそこそこ多いほうだったみたいです!

四球は普通で三振はやや多め、出塁率はそこそこ高かったようです!

また、併殺打は少なく、死球数は普通でした!


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年代別の守備位置

・1987年:サード

・1988年:ショート

・1990年:セカンド

・1992年:セカンド兼サード

・1994年:ファースト兼セカンド

・1995年:ファースト

 

現役時代の累計成績(1986~1995年)

・打率:.262

・本塁打:22

・打点:102

・盗塁:21

・試合:366

・安打:227

 

現役中の平均戦績(1986~1995年)

・打率:.262

・本塁打:2.8

・打点:12.8

・盗塁:2.6

・試合:45.8

・安打:28.4

・出塁率:.341

・長打率:.388

山田和利さんは現役時代に366の試合に出場しており、打率262・打点102・出塁率341で大活躍されています!

そして、1989年には1試合に3本塁打を記録されています!

内野手として活躍していた

山田和利さんは中日ドラゴンズで俊足の2番遊撃手として活躍されており、1991年には広島東洋カープに移籍し強打の6番一塁手として活躍されていました!


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ちなみに背番号は33→30→21→16→25→7で1991~1995年は「25」でした!

中日ドラゴンズ時代は三塁打や盗塁が多く、俊足を活かしたプレイスタイルが多かったようです!

内野手としては良い選手だと評価されていたようですが、現役時代の中日ドラゴンズには内野手が充実していたためなかなか一軍にあがることができずに悩んでいたそうです!

中日ドラゴンズから広島東洋カープに移籍してからも広島東洋カープには野村謙二郎選手や江藤智選手が三塁手にいたため移籍後は6試合しか出場できない状況だったようです!


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年棒は2070万円

山田和利さんの現役時代の最高の年棒は2070万円でした!


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2022年のプロ野球選手全体の平均年棒は4312万円なので山田和利さんの年棒は高いほうではないことがわかりました!

コーチとしての実績

山田和利さんは現役を引退した後に中日ドラゴンズと広島東洋カープで球団編成を務められており、2015年から2022年11月まで再び広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチを務められています!


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時系列でまとめてみると以下のようになります!

・1997年:二軍打撃コーチ

・1998年:一軍内野守備・走塁コーチ

・1999~2001年:一軍打撃コーチ

・2002~2003年:二軍内野守備・走塁コーチ

・2004年:二軍野手総合チーフコーチ

・2005年:フロント入り

・2011年:広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチ

・2012年:球団編成担当

・2015年:再度広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチ

 

東邦高校の野球部に所属していた

山田和利さんは愛知県名古屋市出身で地元の名古屋市立豊正中学校から野球の名門校である東邦高校へ進学して甲子園を目指されています!

この当時は中京高校が強かったため甲子園に出場することはできなかったようですが、チームの主将として活躍し、100mを11秒台で走ることができる俊足が評価されてドラフト会議で中日ドラゴンズから4位で指名を受けて入団されています!

ちなみに同年代に元中日ドラゴンズのレオ・ゴメス選手と元日本ハムの藤王選手がいらっしゃいます!


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【恋愛よりも仕事が優先】2023年現在山田裕貴に彼女はいない!結婚できるか心配になり藤原竜也に相談していた!

世間の声

山田裕貴さんの父親について世間の方は

さまざまな声がありました!

まとめ

・山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利さん

・山田裕貴さんが俳優になったのは父親の言葉に影響を受けたから

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